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【ネタバレ注意】『屍者の帝国』レビュー

※当記事は盛大なネタバレを含むものです。これから本書を読むつもりの方、若しくは読んでいる真っ最中だという方、その他本書の内容を知りたくないという方は閲覧にくれぐれもご注意ください。

まだ間に合う、ブラウザバック。

























ハダリーたんかわいい。

フィリップです。

忙しい予備校ライフの合間を縫って、伊藤計劃円城塔共著『屍者の帝国』を読ませていただきました。

伊藤計劃作品は順当に『虐殺器官』、『ハーモニー』の読了を経てからの本作への挑戦でした。一方で円城塔作品には、『神林長平トリビュート』収録の『死して咲く花、実のある夢』スピンオフでしか触れたことがなく、作風が継ぎ接ぎなものになっていないかとあらぬ不安が脳裡を過りもしましたが、ところがどっこい全くの杞憂でありました。『さすが芥川賞作家や…』と。

形態としては、伊藤が没する前に遺したプロローグをそのままに、円城が本編・エピローグを補填する形だとか。にしてもその点全然不自然じゃなかった…。

逆に言うと、読み終えた後に残るイメージを整理するうちに、彼等の作風の違いが仄かに感じられる仕様となっているのに驚きました。決してマイナスのファクターではなく、むしろ円城なりの伊藤作品の噛み砕き方が垣間見える、得難い機会なのではと思います。

しかしあとがきを読む限り、円城は伊藤の遺稿に手を加えるにあたってかなり苦悩したようです。そりゃ誰だってそうなりますよね。僕とて自分が祖母を亡くした後に生まれた、あのなんとも言えない喪失感を忘れられるほど、無神経ではありませんから。


内容について言及しましょう。

僕は読み進めるうち、ある登場人物の異質さに目移りしておりました。

屍者、フライデー。

主人公ワトソンに付き添い、彼ないし彼等の行動をノートに記録するフランケン。

他に類を見ない二重機関を搭載していたり、『ヴィクターの手記』のパンチカードを読み込んだりと、特異な設定も相まってそれなりに物語を彩ってくれていました。

しかし彼は主要人物にも関わらずプロローグには登場せず、『物語を彩った』とはいえ彼自身がストーリーの大筋に関わることはほぼほぼありませんでした。

では何故、彼は『屍者の帝国』に登場するのか。

僕の至極個人的な解釈なのですが、『フライデーは円城塔に重ねられているのでは』と思ったのです。

フライデーは、ワトソンに付き添い、行動を記録する。ここでのワトソンを伊藤計劃と捉えて見ましょうか。

伊藤計劃円城塔両氏共に華々しい小説賞を経てきた作家でありますが、それぞれの賞の受賞時期を見ると、円城は伊藤に今一歩遅れている。勘違いしないでいただきたいのは、これが決して円城が伊藤に劣っているということの証明ではないということです。作風がとてもではないにしろ違うもので、比べられたものではないと思います。

エピローグⅠにおいてワトソンはアドラー、もといハダリーの協力を得て、かつての意識、『菌株に操作される意識』、はたまた『言葉の影響を受け続ける意識』を逸脱しました。

その後、エピローグⅡの内容が非常に興味深いです。語り手はフライデーということになっていますが、それはフライデーそのものなのか、記述が生んだ情報が具現化しているのか、そもそも定かではありません。

彼、フライデーはワトソンの行方を追っているようでした。もう手の届かなくなった、かつての主。自らに複合する意識を宿らせた張本人を。

といっても、あの『ヴィクターの手記』の読み込みが複合する意識、ザ・ワンの言葉を借りれば『保守派の菌株』の培養(培養という表現は改善の余地を残していそうですが、ボキャ貧なもので)を引き起こしたかどうかは明記されていません。

遠回りになってしまいましたが、ともかく僕にはこの『ワトソンの物語を記すフライデー』という構図が、『伊藤計劃の物語を延命させる円城塔』という本書の事情のようなものに酷似している、と感じました。

フライデーは自ら、こう言葉を紡ぎます。

「ぼくにはまだ、あなたに言い残していることがたくさんある。このぼくを物語として、物語を通じて生み出したのはあなただ。今ぼくは、物質化した情報としてここにある。ぼくが今こうして存在するのは、あなたのおかげだ。ほんの三年に満たない旅にすぎなかったが、かけがえのない、得がたい日々をあなたと過ごした。その旅がぼくをこうして形作った。あなたの物語をつなぐ手伝いを上手くできたか甚だ心許ないが、収支はまだ先のこととしてもらえればありがたい。」

ちなみに伊藤と円城の友人付き合いは、あとがきで「ほんの二年半のもの」と円城自身が告白しています。


などと憶測に血道を上げておりましたが、勿論そこは小説、読み物としても非常に楽しませてくれるものでした。

伊藤計劃という文体ではなし得なかった、非常に人物の表情が活き活きした描写がとても多い。まあすぐそばに蒼白の屍者がおっ立っているような世界ですから、人間が人間に見えるのも真っ当なことかもしれません。特にバーナビー、彼はどこまでも人間臭く、どんなに話題が高次的になっても、我々の帰する感情に一番近い位置にいつもいたような気がします。

そしてオタクの見地から言わせてもらうならば、ハダリー/アドラーに心を鷲掴みにされたままです。彼女の、特にエピローグⅠでの所作といったらたまりません。かわいい。結婚したい。ワトソンの気持ちがよく分かります。しかし接吻は許さん。

まだまだ書き足りない気持ちですが、キリもいいのでこのへんで。もし『屍者の帝国』を未読にも関わらずここまで読み進めた奇特な方がいらっしゃいましたら、是非とも本書をお読みください。そしてこのレビューを思い出すことがあれば、「変なことを書くやつもいたもんだ」と、どうぞ嘲笑してください。


ありがとう、屍者たち。

屍者の帝国 (河出文庫)